涙は眼から出る

 

                 2016.4.7.13:25

 

 

 

 

 

酒とは何ですか、と問われる。

己と己の間において言葉だ、と答える。

ただの液体、言葉のわけはない、だろう。

写真がただ写真、ただそれだけのものでしかないように、言葉などでないように。

 

言葉とは何ですか、と問われる。

言葉は、己の他人と、他人の己と、自然に向かって放つ、

音圧の矢であって、

生命個体のついぞ交わる事のない陳腐な孤独

埋め合わせのできない生理に

いままたすぐにでも瞬間に何度でも擦り付ける

音の性交。

 

                                     2016.03.02.20:05

 

 

 

 

 

 

言葉がない、言葉がすかすかなのは精神がすかすかなのか。

言葉があふれ出るということは、精神の豊かさの証しか。

昼間歩く東京にあんなにあった言葉、言葉のようなものは、

夜には果たして酒と血の濁りに無かったことにされる。

言葉は言葉にその頭を掴まれ、明け方に見る残像のような、

「みえたもの」の残り滓に成り果てている。

                                                                             2015.11.28/21:28 

 

 

 

 

さも軽快に人間の髄を見せられる恐ろしさと快楽、笑い。

もはや道もなくした風の僕たちは、

なぜいまだに映画なんてものを見ているのかと考え、これで腑に落ちる。

誰にでも必要なものがここにある。

 

                       黒田光一 (写真家)         

                                               園子温 最新作映画「冷たい熱帯魚」(1/29公開)フライヤーに寄せて。

 

                                         201101211259

 

 

 

山下卓、新刊小説「神歌 かみうた」。徳間書店刊。8/25頃。

 

                                           20100724

 

 

夕方、山谷を越え吉原の道端で拾ったLPは

「よしだたくろうLIVE’73」 「流民の歌/甲斐バンド」 「Char Ⅱ  have a wine」 「ナイアガラ CM スペシャル Vol.1」「ナイアガラ トライアングル vol.2」。

 

                                        20100714

 

 

 

 

写真を撮り続けるということは、レトリックではなく映し/写し/移し/現し、続けるということだから、それは社会の中でのことで言ったらなんということでもなく、他愛ない。他愛のない存在。うつしている者が本当はうつされていると、噎せる街の中でそっと知らされる時の、鈍い心地の悪さと清々しさに唯一支えられている。

 

                                            20100714

 

 

 

 

 

銃声が止んだ……虫が鳴く、猿が叫ぶ、黄昏のヴェトナムの森。その叫喚のなかで人はひっそり死んでゆく。誰も殺せず、誰も救えず、誰のためでもない、空と土の間を漂うしかない焦燥のリズムが亜熱帯アジアの匂いと響きと色のなかに漂う。孤独・不安・徒労・死――ヴェトナムの戦いを肌で感じた著者が、生の異相を果敢に凝視し、戦争の絶望とみにくさをえぐり出した書下ろし長編。       従軍していた開高の1968年作。この夏、新潮文庫新装版。                             http://www.shinchosha.co.jp/book/112809/          

 

                                    20100711

 

 

 

 

 

寄って立つものがなくなったということを露悪的に言ってしまう、ということはそれがそもそも欲しいというわけで、やっぱり基本は保守なのか。自分に限って言えば、本当にそれがなくなった末の豊かさに向かっているつもりで、ただ、豊かということは安楽ということではない。

 

                                     20100630

 

 

 

 

現在、隅田川に住む子猫たちの里親募集中。

 

                                  20100630

 

 

 

 

晴れた。今日三時間歩いて撮ったものを、いまほとんど憶えていない。ほんとうは、全部忘れたいために撮っているのか。

 

                                       20100620

 

 

 

向かうべくあると確信されるポイントはあっけなく内実のない肩すかしで、そこまでの足掛けであるような、とるに足らない途上のまた途上に言葉にもなりはしない粉状のていたらくが横たわっている。

 

                                       20100620

 

 

 

 

 

なぜ人を殺してはいけないのか、答えられない。戦時と死刑制度の下では正義となる。実行するのはハイテクシステム、雇われ兵士、雇われ執行人、国家だとしても、本当に手を下しているのは自分たちのこの生白い手指だ。

 

                                     20100616

 

 

 

生きたいという欲望、死にたいという欲望。自殺がなぜよくないことなのか、すこし前に道理としてはわかった。人殺しであるから。ただその先、未だわからないことがあり、それは誰に聞くことでもない。

 

                                  20100613

 

 

 

梅雨入り前、最後の晴天の池袋。大きくいつものルートを踏み外し方向感覚を失いつつ4時間。未だ歩き方を弁えていない自分がそこに居て安堵する。

 

                                      20100610

 

 

 

人が、心から無心に利他的になっている眼の様子は、いじらしく抱きしめたくなる。“心から” と “無心” という字義上の矛盾、こころのある/なしは、ここで同義になる。

 

                                    20100605

 

 

 

 

写真以前の為体だけが、写真のすべてになる。

 

                                    20100605

 

 

 

池袋でばかり撮る。この街はでも、結構みんなに疎んじられているようだ。藤岡亜弥は「なんで池袋があるのか意味がわからない」と言って笑っていた。吉原から根津、巣鴨を抜け池袋で終わる都営バス(草63)¥200に乗って毎日出勤する。いつも一番うしろの広めの座席で。

 

                                    20100605

 

 

 

本当の意味で、自分は写真が下手だ。

 

                                    20100524

 

 

 

「狩りが上手くなるには歩くしかない」     

 

                                    20100524

 

 

 

ハイビジョン特集「ヤノマミ〜奥アマゾン 原初の森に生きる〜」

5/16(日)22時45分〜0時35分。2009年春にNHKスペシャルで初放送。森の中、産んだその場で母親の選択意思により嬰児を絞め殺しシロアリに食わせ焼き払い、精霊として天に戻す、猿狩りなど一万年以上変わらない自給自足生活の映像も話題となり、今年2月の劇場公開(前売り完売)から今後DVDにもなる元々はNHKの一つの番組。ナレーション、田中泯。自分は未見。当初1時間番組だったのが110分になっているので、たぶん劇場でかかったものなのだろう。NHKのスタッフは、部族からナプ(人間以下の動物)と呼ばれていたらしい。

 

                                 20100515

 

 

 

 

〜の終焉云々、殊更大仰な、批評家ぶった、いま自分が生きているこの時にこそ破滅的な時間の流れが起こっていると思いたいんだろう、自分は。実は瑣末なことの堆積が転がってるだけなんだけど。それでも第一章(の半分、それ以下?)くらいの終わり(形骸)は。たかだかそんなものの内に居なくなっていくだけだ。

 

                                   20100512

 

 

 

池袋東口からの始まり、3時間。今日は東口が面白く、いい加減な眼を晒し、歩く。

                                    20100508 

 

 

 

本質的、絶対的な孤独に、残らずすべての人の足が触れてしまった。乃至は見知ってしまった現在、現実的直接的本来的意味での芸術という玉が本当に必要になった今となって、写真を含め芸術という名の下に守られてきた様々な遊びの様態は終焉を迎えている、迎え終わっている。いま何をやっているのか分からない、分かち得ないという、とても稀な、とてつもなく貧しくて豊かな時に歩いている。

 

                                 20100506

 

 

 

 

吉原から船橋まで歩く。予想では3時間、実際は歩き詰めで5時間半。両足裏とも皮がむけた。右手に持ち通しも、シャッターは10回。撮るものがないなんてことはない。今日は見る眼がなかった。

 

                                            20100504

 

 

 

 

渋谷、公園シャッター通り、109向かってくる女、街の作りは、変化してるようで変わっていない。

 

                                 201004262203          

 

 

 

 

都バス、終点池袋東口下車。北口の陽光城で56度の酒¥258、広場の古本まつりを流しつつ、池袋中学校〜川越街道〜6時間。御徒町の吉池でまぐろの目玉2つ¥250。さめのたまご¥50と蛸のたまごは我慢、粕取焼酎も我慢して帰る。

 

                                      20100424.1845

 

 

 

 

 

誰からも期待されていない、望まれてもいない写真を撮っているという自覚。あーこれでよかった、と思う。

 

                                  20100418.2147

 

 

 

 

 

 

 

 

竜泉からバス〜池袋東口、いつもZARAの前で降ろされ、奥にLABI日本総本店が見える。が、今日は引き返しPARCO脇から線路伝いに風俗街の方へ。さらっと流し、北口ホテル街直通の大陸橋で線路を跨ぐ。この陸橋は好き。粗野でダイナミックで素直。いつもの北口、一番街〜ロマンス通りを6周くらい。そのあと、メトロポリタン前の広場では敷地全面使ってバングラデシュ正月祝い、カレー、串肉の屋台、日本人あまりおらず。後悔しつつ自作の握り飯と珈琲。野暮に、だらだら。ごみと一緒の赤ちゃんを撮る。みんな貧しげだけど楽しそうで、よかったーという気分。更に北口徘徊〜東口、サンシャイン通りなど。生ごみの見事な炸裂。用もないだろうに溢れかえる人。ものすごい数のボタンを押してるつもりが、たいして押してなかった。おしなべて、押してたつもりで、押していたってのは、その実なにもない。その逆、押してないつもりが、結構押してたってのは良い。

 

                              20100418.1909

 

 

 

 

竜泉からバス、池袋東口始まり〜北口〜西口。

タイトル、こころ。いま、ここにあることや、いることの内実が完全に露になって動いているもの、もしくはそれらがそのまま映しとなった塊が、心(こころ)か。違う。  

 

                               20100413.1529

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三ノ輪橋から都電で王子、飛鳥山を辿り、東池袋四丁目下車。ここからは初めての歩き。本当に誰にも見られていない、置き去りのような眺め、何処に行ってもそういう筋に向かってしまうのだけど。サンシャインを尻から入り館内、這い出て掃き溜めのなかへ。無軌道なようでいつの間にか決まってくる獣道、中池袋公園まわり。北口チャイナタウン、爆破跡のような西口前の様。長閑に掠奪がすすむ街のような、それでも優しい動物が居るような気配あるやなしや。3時間で動けなくなる、120×4.5。

 

                                   20100409

 

 

 

 

吉原公園のムーランルージュ前の桜、一葉記念館、大川桜橋、日本堤いろは商店街。

 

                                          20100408

 

 

 

竜泉からバス50分、池袋東口。飲食街、からす、鳩、ごみ、家族、サンシャインシティ内の安衣料店、女。120×3。雨降り11時、東池袋から都電で退散、三ノ輪橋へ。

 

                              20100407.1336

 

 

 

竜泉でバス〜三ノ輪〜荒川区役所〜千駄木団子坂下〜白山〜巣鴨〜終点池袋東口。無軌道に歩き始め1.5時間、西口に廻り1.5時間、持参の握り飯&珈琲を桜の下で15分、平和通り抜け池袋本町〜板橋熊野町〜川越街道〜東口〜また西口へ、ロマンス通り、ホテル街、中国人〜また東口に抜け芸術劇場前の広場、5時間で了。120×4、220×1。人様にレンズを向け蘇る恥の感覚と明るい恐怖感。何をやっているのか、いまはわからない。

                                                                                      20100406.1922

 

 

 

 

 

きれいはきたない、きたないはきれい。                         ウィリアム・ シェイクスピア              

                                     20100404.2127

 

 

 

形式主義的な物語性/文学性からの回避、写真に纏わりつく自閉的で甘味な了解事項に対する嫌悪・・等々、それらに依って立ち唾棄する身振りによって初めて成立が約束される顕われ方。

言うまでもなく自分たちにはもはや、それらどんな軸足を持つことも、そこから飛ぶことも許されてはいない。

                                   20100401.1359

 

 

 

写真は写真そのものを目指しつつ、同時に写真を目指さない。

                                         20100401.1322

 

 

 

 

 

江東区清澄のAKAAKAのギャラリーにて、高橋宗正 写真展「スカイフィッシュ」が開催中。僕は展示未見、写真集も未見。でも、3/31(水)にあるトークイベントには、他に4人の写真家の方々、永禮賢さん、浅田政志さん、佐伯慎亮さん、村上友重さんと共におよばれ。19時半から、無料、予約不要。

 

展示は2010年4月18日(日)まで。

OPEN|12:00~20:00 
CLOSE|日・月・祝日

*最終日4月18日(日)のみオープン。    http://www.akaaka.com/

                                                                                                  2010.3.24.Wed

 

 

 

 

弥生坂を上がり東大へ、「命の認識」。一回目、1月の遺体解剖見学会に参加。コアラ、ペンギン、そしてペリカンのような鳥類、強い腐臭、死臭。2/28には二回目。それらは明らかに写真論まで含んでおり(本当はそれはどうでもいい)示唆に富む。

 

http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2009inochi.html

 

                                              10.2.14

 

 

 

Marlene、 約70歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊山で浅草寺に、売店で観音様の御姿を¥200でトイレの神に。                                                           09.11.21(土)

 

 

                                  09.11.17(火)

 

未確定lodge

 

 

「イエス」。                                    09.11.7

 

 

LODGE。                                             09.11.5

 

 

 

特に心得なく、資材届き、塗装。ギャラリーは、おしなべて“白”。

やはり白。

                                      09.11.3(火・祝)

 

 

 

自主ギャラリー、東京・台東区で画策。                          09.11.1(月)

 

 

イギリスの写真批評誌「photoworks」Issue 13

写真集『弾道学』について10ページ、批評(英・Ian Jeffry)とともに。 日本の写真特集、ゲスト編集者は写真家Jason Evans。

http://www.photoworksuk.org/publication/magazine/details_current.asp?mag_id=20

                                                      09.10.25